不思議な語呂がくせになる。沖縄の観光名所

不思議な語呂がくせになる。沖縄の観光名所

粟国島の「筆ん崎」

「筆ん崎(ふでんさき)」という非常に変わった名前の観光名所が、那覇市の北西60kmの粟国島(あぐにじま)にあります。沖縄県の中核地域であり、飛行機で訪れた際のスタート地点である那覇市がある沖縄本島から離れた地域をめぐる、いわゆる離島観光において注目スポットに挙げられる景勝地です。

「筆ん崎」とは粟国島の西端に突き出す海岸地形のことで、高さ90mにも及ぶ垂直に切り取られたかのような断崖の美観が訪れる人の目を奪います。筆ん崎の崖は白色凝灰岩という白い岩でできているためにその崖の断面は形状のみならず色合いとしても美しく、また崖の上には白とのコントラストを成す緑鮮やかな草原が広がっています。この草原の名は「マハナ」と呼ばれ、実際にそこまで上がっていける経路が用意されています。マハナの上には「マハナ展望台」があり、90mという高さから沖縄の海を堪能できる景勝地として知られています。晴れた日の昼下がりに見渡す青々とした爽快な景色も見事ですが、黄昏どきに目の当たりにできる光景は筆舌に尽くしがたい感動を与えてくれるでしょう。

粟国島の筆ん崎は陸上の景勝としてでなく、海中の景勝地――ダイビングスポットとしても非常に有名です。沖縄のダイビングといえば筆ん崎とさえ評されるほどの名スポットは、筆ん崎の崖に見られる豊かな地形が海中にまで続いていることに要因を持ちます。魚たちは起伏豊かな地形を棲みかとしますので、筆ん崎はまさに魚たちにとって絶好の寄り合い所なのです。

那覇市の玉陵

玉陵は那覇市内にある陵墓――琉球王国の歴代国王が眠る墓です。ところで、この玉陵という字を初めて見た人はどう読むでしょうか。普通に音読みするならば「ぎょくりょう」といったところでしょうが、ここは沖縄です。そしてかつての琉球国では琉球語という独自の言語が用いられていました。――正解は「たまうどぅん」です。「玉陵」と書いて「たまうどぅん」とは、知らない人にとっては思いもつかない読み方ですが、妙に頭に残るという意味では観光名所の名前として秀逸であると言えるかもしれません。

この巨大な石造りの陵墓「玉陵」は、『国指定重要文化財』であり、また『世界遺産』にも登録されている貴重な史跡です。その理由については実際に目の当たりにすれば疑問は生じないでしょう。1501年に琉球国第三代国王によって初代国王を埋葬するために築かれた玉陵の今に残る姿は、第二次世界大戦の後期に受けた戦災で失われたものを改修したものです。しかし戦後すぐに優れた技術で再現された玉陵の姿は十分に貫録があり、その壁面の変色や苔などに年季を感じさせます。敷地面積はおよそ0.2ヘクタールであり、県内最大の「破風墓(はふばか)」となっています。周囲は石垣で囲まれており、墓室は自然の岸壁に穴をあけることによって作られています。当時の琉球国の勢力がいかに繁栄を極めたものであったのかを強くうかがえる史跡の一つと言って良いでしょう。正面に向かって左右の塔の上には、守護神として獅子の石像が据えられています。観覧料はひとり300円。那覇空港から車で40分ほどの場所にあります。

南城市の斎場御嶽

沖縄の代表的な観光地「斎場御嶽」は難しい漢字が用いられていますが、そのこととは関係なく、これを知識なく初めて見て読める人は皆無でしょう。「斎場御嶽」と書いて、「せーふぁうたき」と読みます。せーふぁとは琉球の言葉で「最高の地位」を意味し、うたきというのは琉球独自の信仰に基づく祭事を行う場所という意味です。つまり「せーふぁうたき」とは琉球国最高の聖地、神殿を意味します。琉球国の「うたき」は男子禁制の地であったため、絶大な権力を誇った琉球国の国王でさえ入場する際には服装を改め、神官の許可を得る必要がありました。ユネスコの『世界遺産』に登録されており、ここから出土した当時の宝物――勾玉や陶磁器は皆国の重要文化財として大切に保管されています。

斎場御嶽は琉球国の神話によるところの創世神「阿摩美久(アマミキヨ)」が築いたとされています。琉球国の始祖である阿摩美久は女神であるため、琉球の地に点在する「うたき」はすべて男子禁制が徹底されました。世界的にも珍しいことですが、琉球では神職も主に女性が務め、最高神官であった新女の就任の儀式は斎場御嶽で執り行われました。今現在、観光地として一般に開放されている斎場御嶽は山中の一帯の総称であり、観光として巡る際にはちょっとしたハイキングコースとしての側面が強いものです。随所の史跡を見て回りながら、同時に沖縄の自然も満喫できるという、贅沢なハイキングが楽しめるでしょう。

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